無無無庵

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く
トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

エッセイ

知らない人と暮らす事

昨年の事だったと記憶するが「同居していた人(たぶん女性)が死んだが、相方の人(たぶん男性)は同居人の本名などの素性を知らなかった」というニュースを斜め読みした。記事では、素性も知らないで暮らしていた男女関係を不思議として捉えていたようだ。 そんな関係は不思議なのだろうか。

男女関係に限らず、村組織などの限定された社会では、家族以外の関係者でも他人の事を知っているし、知りたがる。これは、地方の村組織に限らず、大都会の浅草などの町内会でも同様であろう。良く言えば「人情」ということだ。

この人情というものが、ありがたく嬉しいと思う人がいる一方、鬱陶しいと思う人もいる。
何れかの考えを持っている人達のコロニーはそれはそれで上手く機能しているのであろう。しかし。そのコロニーに別の考えを持つ人が紛れ込むと騒動の元になるのだろう。
孤独死や独居といった事が大声で語られる現代においては、人情を好む性格とそうではない性格では死に方に差異がでる。世の中的には「気の毒」と言われようが、孤独を好む者としては独りで死ぬ事に不満は無いのではないだろうか。現代では法律によって埋葬方法が細かく定めらているから従わざるを得ない。その結果、「同居していた女性が死んだ事を警察に届ける」という出来事が必要になるのかもしれない。

素性を知っていようが知らなかろうが、同居する事を楽しめる関係だったのではないだろうか。
世の中には、素性だけは知っていても、同居する事が不自然な人間関係の者達が多い。法律的には夫婦関係であり、社会的にも夫婦として認知され子供を設けたような男女であっても、同居する事を楽しめる関係であるとは限るまい。「瘋癲の虎さん」じゃ~ないが、恋愛感情を保ち続けるには明日にも別れるかもしれない危うい関係のほうが良いのではないだろうか。

「同居しているにも関わらず本名を知らない」事をマスコミは責めるが、本名を知らずとも愛称で話は通じる。若かりし頃、「恋愛」と呼ぶが「恋」と「愛」は違うんだ...なんて議論したことを思い出す。


最近は、熟年離婚とか死後離婚とかが多いそうだ。
素性なんて~事に固執した時代は家制度が法律に書かれていた時代の延長線上である。LGBTが認められ夫婦と同様の法的な扱いがされる現代では無意味と言うべきだろう。
200年後の未来社会は、父親の名を知らない母親から生まれた子供や、AI が動かすロボットによって人工培養された子供だらけになるのだろうか...世界が存在したら、日本が有ったらの事だが....

カメラの断捨離

先日は今季一番と思えるような降雪があった。一日中降り続きそうな雪を窓越しに眺めていたら、記念に写真でもと思いついた。しかし、普段はガラケー付録のカメラばかり使っているので、思いついたからといって、カメラは放電されていて使えない。引き出しのあちこちを占領しているカメラ達だが、最近使った事が無い。
これでも若い頃はカメラ小僧だったのだが、視力低下など等の理由から、普通のカメラを用いる事は激減である。
せいぜい、偶の旅行に持参するのが関の山で、殆どは常日頃身近にあるガラケー付録のカメラばかり使っている。
「iモードのe-mailは使用料金がタダ」なので、ガラケー付録のカメラで撮った写真は収録する手間が無い。写真倉庫にメール送信すればオシマイである。そのため、若い頃であればシャッターを切らなかったようなクズ写真で倉庫は満タン状態だ。いずれは、クズ倉庫の整理をしなければなるまい。

それよりも整理しなければならないのは、昔のカメラ達である。
高校時代から始まったカメラ道楽は、ひどい時には年間数台を買っていた。買ったからと言って腕前が上がるはずがないと承知しながらも、新製品が出ると何故か欲しくなり買ってしまっていた。当時のカメラを処分していなかったら、今頃は蔵が必要であった。しかし、新品を買う代わりに古いのは売っていたので蔵を建てることはなかった。

それでも、退職が近づいた頃に買ったカメラが引き出しに寝ている。極めて場所取りである。
他人の事には「無駄な物」なんて余計な世話焼きを考えるのだが、イザ自分の、それも大好きな事については断捨離する事など思いも及んでいない事に気が付いた。
改めて考えれば、使っていない物であれば断捨離の候補とするべきである。あんな物は墓に入るまい。
メルカリなる質屋まがいが便利らしい。色々と断捨離したい物はあるのだが、どうすれば良いかが思いつかない。
メルカリ利用の練習として、カメラの処分でもしてみようか...等と考えていたら、降雪は昨日でみな溶けちまった。

同期生はどうしてる

以前であれば昨日は小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたので成人式との事也。
正月と言えば暦の上では既に春。 直に梅が咲き、学び舎を立ち、友との別れがある。
過去記事:混雑する2022成人式
徘徊先のブログを拝読すると、退職し還暦を過ぎた年齢になっても同級会とか同期会と称するイベントが行われ、参加している人が多いようだ。
高等学校が最終学歴の俺は、卒業式の日に教師を交えて仲間ともども居酒屋でドンチャン騒ぎをしている最中を警察に踏み込まれたが方法の体で脱出し、深夜列車に飛び乗って上京して以来は高校の同級生には逢った事が無い。中学や小学校時代の人達で同級会が行われているのかは知らないし、行われていても行かないだろう。

小学校時代の卒業アルバムは有るようだが、どれが誰なのかは知らない。自分がどれなのかも知らないだろう。そもそも、小学校の卒業アルバムを仕舞っているのか否かすら覚えていない。
中学校の卒業アルバムの在り場所は見当がつくが、小学校アルバムと同様に、就職して以来見た記憶は無い。
しかし、童貞物語の英語教師と数人の女子生徒だけは薄っすらと思い出せるような気がする。

そんな程度の記憶力の俺だが、同期入社した奴らは覚えている。昭和43年は東京オリンピック景気が過ぎた後だったため、同期入社した人数はそれまでの採用人数に比べれば1~2桁少なかった。少ない人数だからと言って団結力が強かったのか弱かったのかは知らないが、良く集合しては飲んだものだ。
東京採用されたとは言え、任地は東京の各支店に分散されて配属される。そんなバラバラの任地から三々五々集まっては酒を飲んでいた。冠婚葬祭があると、同期生の産地にまで出かけては取り仕切るほどの付き合いをしていた。しかし、25歳ころからであろうか、皆が伴侶を持ちそれぞれの一生が見渡せるようになってからは、理由も無く集っては酒を飲む回数が減った。いや、飲み会は夫婦同伴で行うようになり、忘年会と暑気払い、それと何かがあった際という具合に整理されたのだが、やはり子供を放置して飲み会に参加するわけにもいかなくなってきたのだろうか。いずれにしても、飲み会の回数は激減した。40歳ころには、交通事故で死ぬ者や退職する者が現れ、9名であった同期入社は6名になってしまった。

同期に入社した者でも退職した時期はバラバラであった。40歳で退職した者は「帰郷して林檎農家」を始めるとのことで盛大にお別れパーティを行った。50歳を過ぎてから奥方死別した者が再婚するにあたり退職するとか、60歳近くなって再々婚するとか、飲み会の理由は多かったがその時に会うだけで若い頃のように暇を見つけては逢うことは無くなった。そんなこんなでも、半数程度は定年退職まで残っていたが、定年退職の際に集って同期会を飲もうという事は無かったようだが....俺は定年を待たずに退職したので細かな事情は知っていない。

俺の退職は、Jターンする為に忙しいという名目で、会社関係・友人関係など等の慰労会への誘いを全て断った。当然ながら同期の飲み会に参加するハズも無い。「立つ鳥、後を濁さず」的な事を考え、当時は美しい行いと考えたが、最近になって正直なところは後悔している。
立つ鳥の立場としては、退職の挨拶状も出さず、結果として新居の住所や連絡先は知らせなかった。一方、会社の定めとして「退職者は、個人の連絡先等も含めて会社関係資料の一切を持ち出し禁止」であった。結果的に、互いに行き方知れずになってしまったのである。

最近になって伝手を頼っては昔の仲間との年賀状を再開した。年賀状よりはe-mailやSNSを利用したコンタクトを行いたいのだが、意外な事に自宅でパソコンを使っているという同期や仲間が極めて少ない。増しや、ネットをしている者が少ない事に驚いている。しかし、パソコンでネットをしないだけで、スマホは所有しているようだ。

俺と同期入社した者達は、皆ライバル意識が強かったと思い出す。今になって交す年賀状もその意識が見え隠れするように読める。年賀状ですらライバル意識が見えるのだから、e-mailやSNSでは喧嘩になるかな...
と思いながらも、未だに同期会をしているという人達がまぶしく思いはじめた2019年の春である。
春よ、来い - 松任谷由実

美しい「死」とは

信仰心も無く無宗教の一般的な日本人は、何故か「」という事に触れたがらないようだ。
特に未成年の目に触れるような、伝説や童話の世界では「死」を連想する記述はカットされる場面が多い。
家族の間でも「死に備えた話は避けたがる」傾向があるようで、政府からは「正月などに家族が集ったら相続と葬儀の話題」をするように勧められている。しかし、面と向かって「死」の話題をも出す者は少ないだろう。

「死」とは恐怖の大魔王なのだろうか、それとも穢れている事なのだろうか。いずれにしても日本人にはタブーらしい。古事記などに書かれている黄泉の国は死を連想させるのだろうか。神道では「死」を穢れとするらしい。
親が死んだ場合でも「死は穢れ」として捉える人が多いようだが、一般的な宗教では「死は次の次元への移行」であると教えられていると思うのだが....

そのように恐ろしい「死」であるにも関わらず、生きている事から逃れようとする者は「自死」を選ぶようだ。
死んだからといって、解決できなかった事が解決できるとは限らない。死んだからといって、自分の存在が失せてしまう保証は無い。要するに、死んだところで何も変わらないかも知れないのに、ただ死に急ぐだけだ。
水洗トイレに慣れ、ゲームの世界に慣れた者は、ボタンを押す事で見の前から邪魔物が消える事を知っている。同じように、死ねば存在が消滅するとでも考えているのだろう。死んだとて、以前同様に苦しむ自分がどこかで生きているのかも知れない。それでも自死を望む者を止めだてする気は無いが、痛そうだぜ。

クレオパトラは苦しまずに死ぬ方法として毒蛇に噛まれることにしたと聞く。毒蛇が痛くないかは知らないが、平均寿命が伸びた現代では死亡原因には事欠かない。世に知れた死亡原因の殆どは痛いらしく、爺婆から聞かされた「眠るような死」という死に方はなかなか無いようだ。
苦しい最期を迎えると言われるのが「肺炎」であり、心不全も痛い病気で、急性心筋梗塞は「バットで強打されたような痛み」との事だ。半面「がんで死ぬのは怖くない」という医療関係者は多く、その理由のひとつは患者が想像しているほど「痛い病気ではない」と『痛くない死に方』などの著書である長尾クリニック院長長尾和宏医師は語る。

「死」が痛いのかどうかはいずれ体験することだが、一生に一度だけの経験とは言うものの楽しみたくはない。
死んだ後の事は、後始末をする人が困らないように悩まないように、できる事は先決しておきたい。
そして何よりも「死に急ぐ」ことだけはしないように心掛けたい。
若者よ、「死」は穢れではない。しかし、美しい事では無い。ボタンを押せば目前からは失せても、無様に有る也。
ベストセラー米教授が問う 「死とは何か? 悪いことか?」│NEWSポストセブン

過去記事:週刊誌に読む死に方Ⅱ / 週刊誌に読む死に方 / 死に方いろいろ / 年寄り向けテレビ番組 / “最期の瞬間”の迎え方?

2019年の口開け

2019年が明け、今日からは俺も日常に戻った。(旧暦では2018年11月29日、新暦の2月5日が元日也)
世の中的にも仕事始めということで、現役仕事人達は久しぶりぶりの出社をしているのだろうか。
尤も、今日01/04は金曜日である。仕事始めに出社して大勢で新年挨拶を一声で済ませてしまうのは極めて楽な方法である。しかし、今日をのんびりと連休したばかりに、後日の連休明けになって一人で個別に挨拶回りをするのは時間のロス以外の何でも無い。それでも自分から挨拶しに行くのは仕方なしとしても、挨拶しに来る相手がいるのは極めて五月蠅い状態になる。相手にしても、面倒ながら来るのだろう。

割り切って考えれば、新年の挨拶をしなければならない相手とは年賀状の交換をしているのだから、顔を合わせてまで「今年もよろしく」等とオタメゴカシの挨拶をする必要は無い。逆手に考えれば「年賀状を交換しない相手と年賀の言葉を交わす必要は無い」ということだ。少なくとも俺の場合、賀詞を交す必要のある相手には年賀状を送っていた。年賀状をよこさない者に限って初出社してから年始の挨拶に来る景色は面白い。
尤も「チコちゃんに叱られる」によれば、『本来は、出向いて行き顔を合わせて年賀の挨拶をするべきところを手抜きしたのが年賀状』ということだ。それに寄らずとも、古くの年賀挨拶は『相手と会った記憶』である。
それでも、松の内(伝統的には元日から1月15日まで)の01/07迄であれば新年の挨拶として承るが、1月も中旬になってから間の抜けた対手が「今年もよろしく」などとホザクと、出社に及ばずと言う心の声を抑えるのが大変だ。

2018年の仕事納め以来、年末は寒波襲来との天気予報が当たり寒い日が続いたようだが、今日は幾分温かい。
20190104

日本の証券取引所では大発会が行われ、安倍政権は何故か知らないがキャッシュレスに御執心である。
俺が仕事人時代であれば、10時頃に出社し仕事始めの挨拶が済んだかと思えば早々に初詣と称して会社はドロンしていた。昭和時代であれば即座に居酒屋直行していたが、平成になってからは少しは遠慮して午前中は秋葉原詣ででパソコンを眺めて、午後から居酒屋に繰り出していた。

過去記事:2015正常運転開始

就職先、初心貫徹したら

なぜか工業高校に入った俺だ。殊更の理由は無かったように覚えているが、大学進学を目指す普通高校を嫌ったが、公立である学校を望んだ結果だろう。何よりも通学する距離が短く、自宅から徒歩10分であった。
尋常小学校にしか行けなかった親父は、大学に行かせたかったらしい。もしくは高専ということだった。
しかし、家庭の事情やら、しなければならない進学勉強を考えると、工業高校卒業で社会に出るのが妥当と考えた。

入学の動機がいい加減だったが、卒業後の進路決定もいい加減だった。工業高校としてはゼネコンあたりに就職するのが順当なコースであったが、なぜか海上自衛隊に入隊し潜水艦乗りを目指した。しかし、親父の大反対で沈没。
次には、ブラジルに移民して農業に従事する事を目指し、仲間と共に移民手続きを始めた。しかし、御袋の大反対で諦め。結局は、学校の推薦入学で東京の会社に入る事にした。入社試験と共に国家公務員も合格したが、学校の強い指導で推薦入学を断る事はできなかった。

海上自衛隊、フラジルの農業、国家公務員。 いずれの道に進んだものにしても、今とは違う日常だろう。
なんて~タラ・レバを考えたところで時間が巻き戻るわけでは無い。半世紀を生きた人生で分岐路は多かった。

戒名を考える

神も仏も先祖も信じていないように見える日本人だが、なぜか死後は仏教徒になりたがるようだ。
別に、墓に入ろうが、礼拝場所が有ろうが、どうでも良かろうと思うのだが、そういう考え方はしないらしい。
「いきなり仏教徒」としては、墓や仏壇を設けるにあたっては「戒名」なる二つ名が必要になる。戒名なんて有ろうが無かろうがどうでも良かろうと思う。しかし、坊主にとっては稼ぎネタらしく、戒名を付けたがる。生前は仏教徒でもなく俗名で呼ばれていた者が死んだ途端に別の名前で呼ばれても戸惑うのではないだろうか。「んんっ、俺か???」っ~事になるのではないだろうか。法律に定められているのは埋葬の方法だけである。

そもそも「戒名」とはWikiPediaによれば、
戒名(かいみょう)は、仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。
ということだから、死んだからといって、突然仏教徒になり、戒律を守る人になる必要はないだろう。お経を読んでもらう必要もあるまい。キリスト教徒のように、生まれた途端に「洗礼名(クリスチャン・ネーム)」を貰うほうが自然とも思われるが、なんせ無宗教の日本人としてはそうもいかない事のようだ。

それならば、死んでから家人の手を煩わせて、坊主に儲けさせるよりは、生前に自分で戒名を決めておくという事も方法である。否、この場合は仏教に帰依するということとは別だろうから、お好きにどうぞ...ということだろうか。
その辺りは好きに解釈するものとして世の中的には、坊主の世話にならずとも「戒名?」を作れるようだ。
キーワード「戒名 アプリ」で検索しても随分ヒットする。概ねはこんな感じらしい「戒名無料作成サービス」。

戸籍に登録する名前、いわゆる俗称ですらネットやパソコンが名付け親なのだから、死んだ後に何と呼ばれても気に掛ける事は無いだろう....と、『名前は識別記号』と考える俺は思うが、『漢字の彩過ち』にまで気に掛ける人はそうはいかないんだろうね~
まあ、戒名よりも、プログでのネットネームを考えた方が良い人達が多いよ。あの人達は無色透明で世の中で目立ちたく無くないのだろうか....ありふれた名前じゃ、地獄でも極楽でも「お前は誰だ?」になるのでは

一期一会:再考

「一期一会」という言葉を好んで使いたがる人は多いようだ。
WikiPediaの「一期一会」では
一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ四字熟語
茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。
美しいと思えば美しい言葉なのだろう。しかし、最近になって考え直せば『あなたとは二度と逢わない』と読み解けた。(輪廻転生輪廻転生三世六道、復活、再生)

過去記事:「一期一会」考 / 言ってみたい言葉 / 友達とはなんだろう? /

365日の紙飛行機 / 山本彩 (※歌詞)
 
Sayaka Yamamoto YouTubeより

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後7日で新年を迎える予定也。一部報道では東南海地震発生の確立が高いとされる昨今也。「電磁波で電離圏を撹乱させる実験を中国とロシアが共同実施──GPS信号妨害との関連は不明ニューズウィーク日本版」といった世界情勢なれど、日本政府は空母化(多用途運用護衛艦)なんて玩具を作る事で喜んでいる。種子島からちっぽけなロケットを飛ばす程度の国家が宇宙軍とは笑わせる。国産ジェット機はどうした。(EMP=電磁パルス電子攻撃)
【航空自衛隊】防衛省が相手の電磁波を攻撃できる装備を導入へ…電子戦能力を強化!衛星利用測位システムによるミサイル誘導の妨害などを担う!(2018 12 15)

日本、レーダーを無力化できる電磁波攻撃装備導入を推進 :: hankyoreh japan(2018-12-13)
サイバーや宇宙領域での防衛、陸海空と融合へ 改定大綱:朝日新聞デジタル(2018年12月1日)
今上天皇最後の記者会見の言葉のとおり、『平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵』したいものだ...太平洋戦争に続く満州事変は、関東軍が仕掛けた柳条湖事件が引き金と言う。
報道されている「海上自衛隊機レザー照射事件」が「柳条湖事件」ではない証拠を日本国民は知らない。
自国領土だと空念仏を唱える竹島を韓国軍に支配され放題の日本が、今回は強行姿勢に疑念を覚える。
甘ちゃんの自衛隊は「戦闘状態ではないから攻撃は無い」と思ったのか。あんたは死んだ。
関連過去記事:大型護衛艦を「空母化」 / 日本に特高は存在する / 真実を知っているのか
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年号が改まった某日に、俺も古稀を迎える。退職してから7年が経つのたから、早いものだ。
「七十にして心の欲するところに従ひて矩を踰えず」
秋田で公務員をしていた親父の年代は55歳くらいで定年退職であった。周囲でも還暦の声を聞くと、赤いチャンチャンコを着せられて祝ってもらう年寄りは少なくなかった。当時の平均年齢は知らないが、まだ「コロコロ・ポックリ」と自宅で死ぬのが当たり前で、近所の町医者から「老衰」との死因を貰い受けていた時代である。
そんな時代に定年退職を向かえた親父を見て、バカ息子の俺としては「親父は還暦を迎えられるだろうか?」とも思った。60歳に近づくにつれ、明日にでも死ぬのではないかと疑心暗鬼であったが、結局は93歳まで生きた。溝に嵌まるというアクシデントが無かったら、当人が公言するとおり百歳まで生きたであろう。

俺は、40歳代迄は自分が古稀まで生きるというイメージは持っていなかった。今でも、自分が古稀を迎えられそうな事が不思議である。2020東京オリンピックが決まった頃には、2020年まで生きているとは思えなかった。

そんな俺がこのブログを始めたは、病気や生き方的なことについて巷の諸先輩の経験を知りたいと考えた為だ。
ということで、情報収集の為にほんブログ村人気ブログランキングのランキングや、シニアナビに参加している。

この度古稀を向かえるにあたり、ブログランキングの所属を「60歳代」⇒「70歳代」に変更しようと考えている。真っ当に変更しようとすれば誕生日に看板を掛け換えるべきかもしれないが、そこまで真摯に考えることも無かろう。また、実質的には「70歳代」になったところで若い情報も仕入れたいと考えれば、せめて「60歳代」ランキングの情報は入手できるようにしたいものだ。

そんな訳で、未だ到達していない歳代だが、「70歳代」と「60歳代」の二足の草鞋を履くことにした。
不幸にして、自然災害や世界大戦が起こり古稀を迎えられなかったならば、その時に勘弁也。
もっとも年代別のカティゴリ分けは人気ブログランキングにしか無く、にほんブログ村では「団塊の世代」というカティゴリ分けだから変更は無い。思い立ったが吉日ということで、昨日とっとと看板を掛け換えを行った。
「70歳代」への参加者各位には公園デビューしますので、よろしく願いというところ也。「70歳代」カティゴリを眺めて知ったが、つい最近まで「60歳代」にいたブログを見受ける。あのブログは少数かと思いながらも再会を喜ぶ也。

過去記事:80歳超えのブロガー / 消えた某ブログ / ブログ書く人花なら? / 年越ブロガーが増えた? / ブロ友は気楽で良い? / ブログランキングに迷った / 徘徊ブログ選びに思う / BlogPeopleに参加 / 「ブログの書き方」考 / ブログ徘徊を楽しむ / ブログ村 のシニア達 / 登録ランキングを変更 / 日本ブログ村 / にほんプログ村

NHK紅白歌合戦2018

NHK的には「国民的イベント」と思っているらしいNHK紅白歌合戦の曲目が決まったとの事である。
曲目決定! 第69回 NHK紅白歌合戦 |NHKオンライン
1951年から大みそかに放送している男女対抗形式の歌合戦が、形を変えながらでも未だに続いている事に驚く。
始まった頃であれば、全国区で顔と持ち歌を御披露目できる場所としては大いに有効であっただろうが、現在においてあの番組が成立する意義が判らない。
4時間にも渡る時間枠なのだから、有名・無名を問わず、歌手であるか・芸人なのかも考えず、兎に角そこいらの有名人的な奴等はあの番組に引き釣り出されているようだ。紅白への出演依頼のエサ代わりなのだろうか、最近のNHKでは三流であろうが、やたらと出演者が増えた。昔であれば「紅白歌合戦に出るとギャラが上がった」との事だが、あんなに有象無象が増えたのではそうもいかないのではなかろうか。

とケチを付ければ長くなるから止めておこう。俺的には「視なければ済む」事である。
NHKは、自分の持つ全局すべてで紅白歌合戦を流さず、災害対策用のチャンネルを開けておいてくれと願う。
Jアラート 年明けから都道府県単位に | NHKニュース
  • 2019/01/08から、Jアラート(全国瞬時警報システム)、エムネット(緊急情報ネットワークシステム)
  • 注意を呼びかける対象地域を、これまでの東北や関東など9つのブロック単位から、都道府県単位に絞り込む
  • 日本の領土や領海にミサイルが落下するおそれがある場合のメッセージには、落下の予測時間などを盛り込むとともに、落下したと推定される段階では、市区町村まで示す
過去記事:紅白歌合戦の終焉は? / ジャニーズは凄いね~ / 年末始のテレビ

平成最後のNHK紅白歌合戦の総合司会は2017年に続いて桑子真帆アナ。しかし、元日の特番『日本人のおなまえっ!』で古舘伊知郎のアシスタントを務める赤木野々花アナが楽しみ也。
ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!▽本当のお正月がわかっちゃうSP - NHK

1951年 1952年 1953年1月 1953年12月 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
第68回紅白歌合戦「TOKYO GIRL」(2017 H29)ノーカット版【Perfume×TECHNOLOGY】
NHK YouTubeより

第23回NHK紅白歌合戦 (1972年 S47) ①
 
安倍内閣の退陣を熱望

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