無無無庵

(むさんあん) - 思考が無く - 躰が無く - 心が無く
トキメキ団塊親父のセカンド・ステージ - 退職爺のボケ封じ

想い出

年賀状に思う

女将は、パソコンに触らない。
勿論、インターネットもe-mailもしない。
電気系の学校を卒業し、モールス通信等はこなす彼女であるが、コンピューターは嫌いのようだ。

反面、絵画や文学は得意で、記憶力も優れている。

所帯を構えた頃の年賀状作りは、彼女の独壇場であった。
葉書裏面の絵は全て彼女の手書きで、構図からはじめた絵作りに知恵を絞ってくれた。
表面の宛名も、彼女の筆で書き込まれていた。
ほぼ1週間も掛かる作業を彼女は黙々とそして楽しそうにこなし、私は彼女の作業を冷やかしながら眺めていた。

そこには会話の空間があり、楽しい時間が流れていた。

しかし、年賀状の枚数の増加とともに手作業では時間が掛かり過ぎる年代になった頃、コンピューターによる年賀状作成に切り替えた。
「味気がなくて、つまらないよ」という彼女の言葉を押し切ってコンピューターに切り替えた。
年賀状作成作業は格段と早くなり、半日もあれば終わってしまうようになった。

作業時間の短縮とともに、会話の時間も短くなった。
彼女の筆さばきを冷やかす空間も無くなってしまった。

来年からは、彼女の手書き年賀状も復活させてみたい。

そんな気持ちで過ごす今年の暮れである。

昔の川柳を転記-2

横浜にいた頃からのものを転載した(下ほど古い)
※2013/09/11時点の過去5年以上の投稿を移築した。
関連:昔の川柳を転記-1 / 昔の川柳を転記-2

年の瀬に まとめを見ながら知る今年
カエデより多そに見える人出なり
巷では3連休と知りし土曜日
あと20日 迫る新年やり残しの事
年明けて やはり間抜けと己知り
新年に 今年こそはと祈る哀れさ
酒飲みは奴豆腐にさも似たりはじめ四角で末はぐずぐず
売りたしと思う今では時遅く 危険と言われる土地に住むとも
いつなりと死んでもまともな歳に成りそれを悩める我が身悲しき
生意気に この世の先が見えたよで 生きたくもあり行きたくも無し
言い訳をしながらサボる散歩かな
月替わり寒さ覚える紅葉暮れ
生花を持って見舞うは枯れ尾花
神無月 向える前から神は居ず
遠き地で瞼に浮かぶ彼岸花
ひまわりの種をかじって雲高し
人よりも平和を守れる動物園
ものみな上がる世の中に上がらぬものは年金ばかり
歩いて知ろう目と足で ここが私の逃げる道
竿よりも袋がでかい古狸
己にも疑念をいだく者が他人を信じることはできない
悲しみの暮れなん国ぞ今日も旅行く
この主は 何処で逝ぬや蝉の脱け殻
良かれ良かれ皆良かれ 我は人よりちょと良かれ
気が付けば暦の上では既に秋 見掛けぬ豪雨はまだもこれから
繰り返す寒暖の差に疲れ出て
盆支度 片づけ作業も一仕事
盆に入り シニアのブログは閑古鳥
迎え火のたゆらぐ煙に涙見え
ボケずとも プッツン来ればそれっきり
降り出せば 止むこと知らぬ今日も雨
曇天の布団の下は暑い夏也
梅雨明けて今日も暑いぞ日が暮れた
宝くじ 当たらぬと知りつつ またも買い
台風が のんびり進む遍路道
物真似を してもらえるほどの芸も無し
冥途道 探し続ける一人旅
久雨が心に沁みる今朝静か
気をつけて 運転中のポックリ死
良き場では皆が笑顔で記者会見 弁明の場では各自が繕う
入院の友が残した薬悲しく
満開の桜は明日から散る定め
瞬後死すとも今を生きる
不景気や 8%の春向え
咲かされて散らされて生く桜には 今宵の雨が如何に写らん
飛び越した 春はいずこの雪の山
明日も又 朝の目覚めがあるかしら
その命 いらなきゃ私に置いて行け
降り続く雨は春への支度かな
落ちる陽に1日の無事を感謝して 昇る朝日を拝む毎日
旅姿 気持ちだけでも元気よく
さすらいの果てに川居る鴨三羽
1円玉 集めて早し消費税
鴨もまた雛を連れての騒がしさ
空元気 返事だけでも元気よく
風もまた春を覚える心地よさ
夜這いでも 話相手が欲しい冬の夜
災害は 想定外と言う政府
鴨ちゃんも ちゃっぷいのかな 今日の川
オバタリアン 病院の食堂 大女子会
春近く まだ見ぬ梅を探す試み
ソチ五輪 そんな程度と ほくそ笑む
散歩道 日陰は凍てつく怖さかな
雪が降り 追い払ったハズの鬼かしら
露天風呂 湯面に浮かぶ梅の花
ソチじゃソチじゃと騒いでいても 爺は炬燵でコチじゃコチ
寒さを思わぬ如月に 残雪の山 不思議に見ゆ
世の中なんでも値上げする 上がらないのは我が小遣い
今は今 明日は明日の風が吹く
北国の 束の間の晴れに寒椿咲く
立山で 除雪始まり 春立ちぬ
感謝する 今朝も元気に目が覚めた
目覚めれば 今朝も積もるか 北国の雪
お出かけは 女房タクシー 俺はバス
ボケなのか トボケかわからぬ 独り言
----------------<上は最近で、2014/01>-----------------
今年も暮らした大晦日 来年の今日も向かえたもの
いと早し 秋の山中 日暮れゆく
山中に 着くなり昼寝じゃ 宿の部屋
旅立ちの 朝は二人でジタバタと
長い夜 読む本探しの電子書籍
いまさらに 感激も無し三連休
鶴仙渓 瀬音に挑む 虫の声
十六夜は 中秋に少し 遠慮がち
カジカ鳴く 沢の畔に 永平寺
せせらぎが かき消されそうな 雨の音
軒先で 雀が覗く露天風呂
旅の灯に 憂いをふくむ 源氏名の女
洗われし 緑の谷で 響く水音
台風で 雨は降らねど雲速し
泣かないよ 僕は強い子 元気な子
昼前は 禁酒を誓う 二日酔い
画面すら見えぬ視力で めくら打ち
通じぬ会話をするよりも 死んだふりして 独り言
死ぬ時期は 先輩が後輩に道譲り
カッコウに 叱られながら朝目覚め
エアコンを 冷房にして 夏待ちぬ
蛙鳴き 鴨が逃げ出す 田植え後

八幡平と私

私が温泉に行き出した昭和30年頃、当時の道路は舗装されている部分が少なかった。

そんな中で、鹿角郡花輪町(現在の、鹿角市)から母に連れられて八幡平の温泉に通っていた。
唄の文句ではないが、まさに「バスは1日、1度来る」状態で、冬には2日に1度だったような記憶がある。
そんな中、小学生の私は、湯治用の機材(鍋・茶碗・食べ物等)を背負い春・夏・秋とアッチコッチに行った。
その頃の話を語らせて欲しい。

米代川のほとりにあった志張温泉。 今では、近代化されたホテルになっていると聞く。

当時は、米代川の遥か上を通るバス道からだいぶ歩いて辿りついた記憶がある。
ごたぶんに漏れず”掘建て小屋”に毛が生えた程度の宿であった。
しかし、硫黄分が少ないこの温泉は、他の湯治場に比べ過ごし易い所であった。
湯が2種類あった。
ひとつは、黒っぽい熱い湯。もうひとつは、透明なぬるい湯であった。
湯壷も分かれており、隣り合わせに上下に設置されていた。
ぬるい湯壷は熱い湯壷の上部にあった。
ぬるい湯に浸かりながら、熱い湯にはザルに菜っ葉を入れ茹であがるのをまっている母がいた。
子供達は、ぬるい湯でいつまでも遊び、遊びすぎて叱られたものである。

私が「温泉って凄い」と子供ながらに思ったのは、この温泉である。
ある時、親父の軍用ナイフにて工作をしていて誤って自分の指を切ってしまった。
左手薬指の第一関節から上がブラブラ状態にまで切断してしまったのだ。
ブラブラの指をすかさず接着した状態で包帯し、父母は志張温泉に連れて行った。
ぬるい湯にて湯治すること、20日程度。私の切断された指は、見事に元通りになった。
その時の傷跡は残るが、立派にキーボードを叩いている。
その後の洪水で被害を受けた志張温泉は、熱い湯と温い湯を混ぜて営業していると聞く。

志張温泉の上にあったトロコ温泉。
アスピーテラインなんて立派な道路がなかった当時のバスの乗り換えポイントだった。
秋北バスの乗務員が詰める小さな事務所と、乗務員が入るためのものであろう、小屋の中に2丈程の温泉があった。
バスを停車させるための敷地の脇には、名前の起こりとなった「トロッコ」とレールが放置されていた。(トロッコは、当時のマッチの原料であった硫黄の運搬に使用されたとのことである)

殆どの路線バスは、ここが終点であり、ここから先の後生掛温泉・蒸の湯温泉・玉川温泉等もここから先は徒歩でいかなければならなかった。

志張温泉での湯治に飽きると、銭川温泉とかトロコ温泉まで徒歩で遊びに行ったものである。
現在、トロコ温泉から玉川温泉に向かうバス路線が、八幡平山頂方面に分かれる地点がある。

山頂方面からこのポイントに向かうと、T字路になっており、崖下は100Mはあると思われる。 私の従兄は、アスピーテラインの工事用車輌で山頂方面からこの崖を落ちるという事故に遭遇した。

当時16歳ほどであった従兄は、半身不随となったものの未だ健在で、北海道のリハビリセンタにいる。
小学校2年の春、父の転勤があり、鹿角郡花輪町から秋田市に転居することとなった。
それでも、季節毎の湯治通いが続き、当時40代の母に連れられ、秋田八幡平のあちこちの温泉に出向いていた。
湯治のお土産は、出掛けるのが困難であった父のために、温泉の湯を持って帰った。
勿論、入浴用とするほどの大量なものではない。
飲用として、鉄分を含んだ湯を運んで来るのだ。
運ぶと言っても、昭和30年代のこと、今時のポリ容器があるはずもない。
一升瓶に詰めてくるのだ。 母が4本位、子供の私が1本程度を、湯治用具を詰め込んだリュックの傍らに押し込んでの重労働であった。
しかし、旨いと言って呑む父の喜ぶ顔が嬉しくて、夏に春にと運んだものである。

昔の川柳を転記-1

横浜にいた頃からのものを転載した(下ほど古い)
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関連:昔の川柳を転記-1 / 昔の川柳を転記-2

東北の人情と町並みは津波に消え 東京の人情と町並みは人波に消え
かなかなと 産声聞かぬ暑空に 抜け殻残して 盆が過ぎ
女子高生 素股が寒そな 東風
メタボ気にして生きるより 正気の内に 死ぬ工夫
老人は死なず ボケたまま いつまでも生きる
長老はボケず 或る日静かに死にゆくのみ
人並みに 初詣にて祈願する 明日の安全 人波に消え
雲は巻き 地竜顔出す大和では 星の変化に涙する人
愛なんて 重みの見えぬものよりも 君の尻見て 安堵するなり
幾年月 共に過ごせし君だけは 流す涙が 同じ味わい
愛でしか繋がるもの無し貧乏人 子供で繋がる金の有る奴
傘さして 片袖濡れて帰るとは 粋を通って 野暮の骨頂
遊びが無い奴ァ 所詮は野暮よ バネが折れたり きしんだり
鳴けといわれりゃ 鳴いてもみしょが いつが夜やら朝間やら
暮れ近く 無事に過ごせし今年より 迎える年を 倹しく暮らさん
想い出の 瞼に浮かぶナナカマド  枯れし紅葉の 仲間居ずとも
またひとつ 重ねる年は 引き算か
うるささや 岩にもあまる 蝉の声
モニョモニョと 文句引きづり 蝉が飛ぶ
墓参り 爺と婆が手を繋ぎ どちらが先でも 楽しそうかな
南天の 種を枕に 寒雀
人肌の 酒に浮世の 寒忘れ
松取れて 杉が飛び行く 花の時期
仕事まで 塵と纏めて 捨てる納め日
枯芝に 香のみ残して 菊の花
山粧う 姥も髪など ときすかし
名月を 浮かべて飲み干す 今日の酒
笑い飛ばして生きるのが 楽しいものだと 見つけたり
ひとしきり 蝉の声して にわか雨
死ぬ前に 生きたしと思う 未練かな
しるべ無い 荒野の果てに 洒落首
何人も 悲しからずや柴桜 人来ぬ庵に 主無きとて
静かなり 妻居ぬ家で 一人飲む酒
強風に なびく藤花 春おわり
見事かな 人来ぬ山で 桜花咲く
さよならは 云わないはずの別れにも 今宵しずかに 桜雨散る
美人でも 立ち食い蕎麦は すすり食い
身体より 心が寒い 秋の風
涙して 行く末悩む 人悲し
悩むとて 所詮は 自分が決めること
十五夜の 秋刀魚 甘いかしょっぱいか
あまりにも 早くに逝きし君故に 月の世界にいるかとぞ想う
木枯らしは 吹き去りし後は暖かし 人の心は しこり残れど
友逝きて 心の花をたむけども 明日は我が身と 思うこの頃
勝手に乾ばれ 日なたの野糞 お前どうなろと 誰ぞ悲しむ
枯菊の 葉陰も虫の 宿りかな
ちぎれ雲 下界の年越し見下ろして 黄昏の中 北へ旅いく
来る年に 平和を祈る 晦日夜
新年に 向けて今年は店仕舞 皆の幸せ 祈る晩酌
日が暮れて 目覚めた朝は 新年か
眼に映る 景色は今日も変わらねど 心の中で 景色がゆれる
あまりにも 汚れし俗世に咲く桜 寒さの中こそ 美しく見え
在りし日に 留めずに呑ませりゃよかったと 悔やみつ たむける墓前酒
さよならと さよう御鳴良と で 別れ告
真近にも 桜花咲く地を離れ 一人楽しく 北を旅する
網走の 塀の表で主を待ち 寒さに堪える北国の春
感慨を 捨てた心の片隅で 響き渡るや 旅崎の氷音
行きずりに 人は訪れそして去り 温故知新の懐かしさかな
改札の 隅で主待つ老妻に 哀れ覚えし 我が身重ねて
過ぎし日を 思い病んでも知れたこと 今宵乗り出す 時の浮き船
明日来ぬ者が 明日を夢に見 嘆いてみても 所詮せん無き
花冷えが 心に染みる今宵には 友の想いと燗酒を干す
咲かされて 散らされていく桜には 今年の季節 如何映らん
生き別れ 死に別れするこの世なら あの世で君と 添い遂げる日々
ぼうふらも 人を刺すよな蚊になるまでは 泥水飲み呑み 浮き沈み
晴天の 海を背に咲く白梅は 行き交う船より なお白きかな
妻の名を 忘れたままで祝う母の日
北帰行 インフルエンザを 置き土産

昔の灰皿

煙草を吸わない親父が、新婚当時に来客用として購入したのだそうだ。

横浜から鎌倉とお世話になったが、野々市でスコップの柄が欠けてしまい、新しい物に交換した。

随分とお世話になった代物である。
禁煙流行の最近では、あのようなデザインの物は現れないだろうな~

肝臓病

幼少より酒を楽しんだ私は、社会人となり先輩達より酒豪であることが判ると、もう天下であった。
 毎日、安い酒を大量に飲み、二日酔いの翌朝は空きっ腹に「立ち食い蕎麦」と「コカコーラのガブ飲み」、そしてまた夜には...の繰り返しであった。
会社の健康診断で「肝臓が悪い」と言われたのが21歳のこと。
所帯を持ったばかりの時である。

身長177cmで、体重が110kgはあっただろう。 即、入院を指示された。
現在のようにMRIとかCTなどの無い時代! 肝生検(かんせいけん)と呼ぶ検査を実施された。
結局、その検査を実施するための2週間ほどを入院しただけで、あとは自宅待機となり、入院を含めて3週間ほどで出社できた。
入院中クドクドと注意され、初めて病気を経験する私は医者の指示を守った! すなわち、禁酒したのである。
飲み仲間との付き合いは、すべて水が茶! 付き合いは断らなかった。
カラオケでもキャバレーでも、何時まででも付き合った。
出張に行っても、酒は口にしなかった。
そして、苦節2年半!医者から「もう、いいよ」の指示がでた。

体重は80kgを切った。 以来、元の木阿弥である。
ガンガンと飲んだ! あれから40年以上になるが、2年前のドックでも異常は無かった。

その時代は、肝臓を刺されると豆腐状の肝臓が破裂し、死亡にいたることが多かったんですよ!
ヤクザの喧嘩でも「本気で殺す場合は、肝臓を刺す」ことが常道だった。
だから、肝生検ってイヤだったんだよ! ドクターは「部長が執刀するから、安心!大丈夫!」って言うのよ。
 いざ麻酔されたら、「はい、君」なんてインターンを呼んで、刺す目印を肝臓部分に書くんだな? そして言うんだな?「そこじゃない!!」ってね(^0^;)

MRIの発達した現代では肝生検を行う病院は少ないそうだけど、インターン育成学校を持つその病院は、いまだにやるんだって!!
手術後、12時間は絶対安静で身動きできないんですよ!
微動でもすると、刺した穴から肝臓がはみ出してきて、死に至るんですって!

私は翌日の朝6時までは動けなかったんですよ。
麻酔の効いているうちは寝ていたんですが、朝の4時頃目が覚めまして。
点滴を受けているから、オシッコしたくなったんですね!
だいぶ我慢しましたが、とうとう我慢できなくなりまして看護婦さんを呼び鈴でよびました。
オマルで...という話もありましたが、まだ若い私には恥ずかしくて.. で、結局5時まで大我慢しまして..歩いて便所に行きました。

いや?!辛かったね?

サイクリング

秋田に居た学生時代を終え、横浜市金沢区に移り住んだ頃は自家用車がたまらなく欲しかった。
昭和43年頃のステータスであったかも知れない。
しかし、母の強い反対意見があり、マイ・カーを所持することは諦めた。

代わりに、サイクリング用の自転車を購入した。
当時「サイクリング」という言葉がハシリの頃で、「ポタリング用」とか名打った自転車が販売され始めた頃であった。
秋田で乗っていた実用車に嫌気が差し、給料の5倍もするサイクリング(ツーリング)用高級自転車を月賦で購入した。
まだ(近場の)三浦半島内の殆どの道路が未舗装の時代ではあったが、秋田や東北の道路事情に比べれば誠に素晴らしい道路を、海を見ながら颯爽とサイクリングすることに憧れたのである。
随分と利用したと思っていたサイクリング車だが、改めて指折り数えてみると、三浦半島以外でツーリングした先は、伊豆半島一周と日光行き程度だったかもしれない。
横浜市金沢区から何処かに行こうとする場合、メインルートに出るまでが遠かった為と言い訳しているのだが...

今住む野々市市は、北部と東部は金沢市に、西部と南部は白山市に隣接する山も海もない平地である。
徒歩でも、1時間もあれば横断できるほどの小さな街だ。
ポタリングにはもってこいと思いつつ、ボンヤリと過ごす日々である。

2年前の今日は

引越を終え、野々市から単身赴任の埼玉県大宮駅そばのアパートに移動したのが昨日。
今日から初通勤を始めたんだっけな~
その時は、こんなに暑くはなかった

2年前の今日

2年前の今日は、単身居住先の大宮に、鎌倉から吾輩の荷物を引っ越しした日。
日通は立派なトラックと人数を用意してくれたが、独り身の荷物運びは、あっという間に終わったな~
先に到着した吾輩は、アパートの場所が判らない日通のトラックを探して、バタバタと走ったっけ

野々市の人になって1年が経つ

思い起こせば昨年の今日は、東京を立って野々市に着いた日だ。
やっと野々市の四季を一巡し、こういう場所であることが実感している。
気候風土や人間性。
色々と違いを感じるものの、いわゆる住めば都である。
東北の秋田で生まれ、人生の大半を横浜で過ごした。
転居することを知った者達からは「どうして北陸へ??!!」との質問だらけだった。
確かに知らない土地に移り住むことは不安を覚える人が多いのかも知れない。
しかし、根無し草のような感覚で暮らす吾輩にとっては、どこで暮らすかは問題ではなかった。

大震災にあった人達で、未だに故郷に住むことに拘る人達が多いようだ。
その感覚を論じるつもりはサラサラ無いが..野々市市は良いところだよ

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