今日 (8/15) は、日本国内では一般的に 「終戦記念日 」や 「終戦の日」 と称されるが、正式名称は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」 として時の内閣が閣議決定で決めた日だ。 8月15日、「終戦記念日」「終戦の日」どっち?
各国における第二次世界大戦の終結を記念する日、いわゆる「終戦の日」はそれぞれであるそうだ。
WikiPedia:終戦の日より抜粋引用
  • アメリカ合衆国、イギリス、フランス、カナダ、ロシアでは、9月2日対日勝戦記念日(VJデー)と呼ぶ。
  • 中華民国(台湾)と中華人民共和国では、9月3日を 「軍人節」 や 「抗日戦争勝利の日」 としている。
  • 大韓民国では8月15日を 「光復節」 と称して、日本による朝鮮半島統治からの 「解放」 を祝う日。 
    北朝鮮も同様に、8月15日を 「祖国解放記念日」
連合国軍の占領下にあった1952年(昭和27年)4月27日までの新聞紙上では、9月2日を 「降伏の日」 や 「降伏記念日」 ・ 「敗戦記念日」 と呼んでいた。
  • 1945年9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。
日本において第二次世界大戦(太平洋戦争大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あるとのことだが、結局は玉音放送昭和天皇による終戦の詔書の朗読放送)により日本の降伏が国民に公表された今日に落ち着いたのだろうか。 しかし、以下により本来の終戦の日は4月28日では?  日本の降伏
WikiPedia:サンフランシスコ講和条約より抜粋引用
1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。 1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された。
この条約によって正式に、連合国は日本国の主権を承認した。 国際法上はこの条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結した。 条約に参加しなかった国との戦争状態は個別の合意によって終了している。
既に高齢となられた今上天皇皇后両陛下におかれては、政府主催の全国戦没者追悼式に出られることは誠にたいへんなことだろう。 ※今上天皇  明仁 (1933年(昭和8年)12月23日~。現在、80歳)
それに引きかえ、皇太子一家は家族揃って伊豆の須崎御用邸で静養中とのこと。
皇太子は兎も角としても、常日頃から病気療養中とやらの皇太子妃が静養に出かけずともいいだろう。
天皇家が次代(第一皇子) になったら、天皇も不甲斐なさそうだが、皇后とは呼びたくないね 宮内庁HP
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終戦記念日の今日、マスコミは恒例どおり 「総理大臣や閣僚が靖国神社を参拝した」 とか しないとか の報道を行っている。
参拝しようがするまいが、知りたくも無いと思うのだが...
政治家にとっては、支持者に対するアピールの場面として まことに重大なイベントなのだろう。
その為、マスコミに報道するように圧力を掛けていると読むのは考え過ぎだろうか。
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昨夜(2014年8月14日 21:54 - 23:10)のテレビ朝日系で、『鈴木総理「親衛隊」68年前の証言』を視聴した。
陸軍の反対を押し切って太平洋戦争を終戦に導いた(第42代)内閣総理大臣鈴木貫太郎氏のスペシャル物である。 鈴木貫太郎内閣 ⇒ 東久邇宮内閣
終戦に向けた鈴木総理の動きを封じる為に総理を抹殺しようとする国粋主義者達が総理官邸及び小石川の私邸を襲撃(宮城事件)を企てていることに対して、鈴木総理の身辺警護に当たった人達を取り上げていた。
警護官は、「人間の盾になり鈴木総理を逃がす」 という者だったという。
玉音放送まであと8時間に迫った8月15日、国粋主義者達のクーデター部隊は官邸に火を放ち私邸に向かったが、事は失敗に終わった。
太平洋戦争は、昭和天皇の聖断という方法により戦争を終結することができた。
しかし、集団的自衛権の名の元に戦争に突入した場合、今も そしてこれからも 日本には戦争を終結させることができる権力は存在しない。 右翼がかった自衛隊でもがいて戦闘続行を叫べば、それっきりだ。
文民統制などとは、平和な時代での政治家の戯言だ。
WikiPedia:文民統制より抜粋引用
文民統制(シビリアン・コントロール)は、文民の政治家が軍隊を統制するという政軍関係における基本方針である。 政治が軍事に優先することを意味する。
それでも、安倍内閣 (及び後続内閣) は、開戦すら閣議決定で突っ走るだろうな。 そして、開戦後はクーデター
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刺身の日
室町時代後期の書記官だった中原康冨の日記に 「鯛なら鯛と分かるように、その魚のひれを刺しておくので刺身、つまり ”さしみなます” 。」 という記述があり、それが刺身と言う言葉が文献に最初に登場した時だった。
それが、1448年の8月15日だったことから。