テレビ番組で、俳句を指南する者がいる事を最近知った。 色々と言うものだと感心する。

俳句とは無縁と見える芸能人を相手に、俳句の世界を脳賜う。 季語がどうしたのと鬱陶しい事を脳賜う。
御指南いただく芸能人も、能書きを受け賜わっているが、あれもお仕事で賃金の内という事だろう。

俳句を学びたいと思う者であればありがたく思うかも知れないが、どうでもよい立場でおとなしく能書きを聞いているものだと感心する。 たかが俳句 されど俳句ということだろうか。
指南役が、あれほど知った頭にビシビシという事もあるまい。 赤子の手をひねるような事をしても、立派には見えない。 言い回しに難癖を点ける(イヤイヤ、御指導でした) が、それよりも何に着眼するかを指南する事が風流の道なのでは。


俳句以外でも、絵画・詩や小説などでは、その感想を求める教育がなされている。
そして、その感想が教育の方針から逸脱している場合は矯正されることになる。
土の色として青を塗った者や、悲しいとされる詩を読んで可笑しいと思う者は、矯正の対象となる。
人それぞれの感性を持ってそれを表現する方が素敵だと思うのだが...

しかし、それは俳句を志す者にとっては許されない事なのだろう。
俳句という物差しの世界で、物差しに合った表現をする事を楽しむ集団の世界なのかも知れない。
松尾芭蕉は、そんな世界を目指したのだろうか。

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