最近は夏目漱石を読んでいる。 「吾輩は猫である」 を読みだしてから、猫の書きっぷりに好意を持った為だ。

猫の目線という今では珍しく無くなった手法で書かれた小説は、客観的に冷めた文体のようで、なかなか暑い。
猫を主人公として、彼の考えを表しているような書き方をしていても、所詮は人の目線での考え方だからやはり人間臭い文章になってしまうことは致し方がないということだろう。
それでも、簡潔明瞭にバッサリと表現する書き方は、俺のような者でも判りやすい。
中学時代にに、国語の教師から読むことを奨められたのだが、明治の文豪とやらの肩書を嫌って手に取ることも無かった。 ということで、今回が初読みである。
漱石に限らず、明治時代の物書きは、簡潔明瞭な表現が多いようだ。
中でも 「吾輩は猫である」 のように、猫という "人間よりも劣っている" と人間が身勝手に思っている者の目を通して書く文章は、ブログを書く上で大いに参考になる。 書きたい内容を、明確に伝わるように書くということか。
安倍総理も、言語明瞭意味不明の発言をしないで、明治の小説でも読んでそれを生かせばよろしかろう。

とは言うものの、俺は猫が好きではない。 むしろ、嫌いと言うべきだろう。
「吾輩は猫である」 にも書かれているように、猫は飼い主が忙しい時に限って飼い主の邪魔をする。
最近であれば、「飼い主がパソコンをしているとキーボードの上に乗る」 という構図のようだ。
要するに、飼い主の気を引きたいということなのだろう。
「飼い主が暇になり猫とでも戯れようかという場面では、猫はどこかに消えてしまう」 という構図もあるらしい。
「猫は気まぐれな動物で そこが可愛いのだ」 と言う人もいるが、俺はそんな性格は好きにはなれない。

まあ、猫を好きにならなくても、「吾輩は...」 を真似て、ブログを書こうかしらんと思う猫(俺) だ。