山口組と神戸山口組は「対立抗争状態」 警察庁が発表:朝日新聞デジタル
時事通信ニュース:山口組と神戸系「対立抗争」=分裂後、各地で凶悪化-警察庁認定、集中取締本部
助け合いがあるからこそ、安心して悪事でも行うことができたのがヤクザの世界なのではないだろうか。
ヤクザではないから映画でしか知らないが、入社した頃はヤクザ映画が流行っていたらしく、土曜日の深夜映画館からは「高倉健の任侠」か「渥美清のフーテンの寅」を見ては、主人公に成りきった観客の朝帰りが多かった。

高倉健の任侠は「極道者」であり、渥美清の寅は「てきや」だ....といった三流週刊誌の記事があったが、俺に言わせれば「どちらもヤクザ」という感覚であった。
しかし、『清く正しく生活している者が、我慢の限界を過ぎて、正義の味方としてブチ切れる』ということを美徳とする日本人感覚からすれば「極道者」が一般的な好みなのだろうか。
とはいうものの、水戸黄門の印籠も日本人の正義感覚らしいから、一概には判らない。

極道者」と「てきや(的屋)」の何れが「ヤクザ」なのかは知らないが、映画で見る「ヤクザ」は恰好良かった。
極道(ごくどう)とは、本来仏教用語で仏法の道を極めた者という意味
ヤクザとは、本来『何の役にも立たない』と云う意味
助かりたいが為に、真っ先に逃げ出す社長に比べれば、「ヤクザ」の親分は逃げない。
WikiPedia:任侠より抜粋引用
本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を指す語。
子分が身代わりになって刑務所に入っても、出所する迄の期間は家族の生活を心配することは無かったらしい。
清水の次郎長にしろ、国定忠治にしろ、義侠と呼ばれる者は、地域を束ねて、人心を束ねていたらしい。
しかし、「仁義なき戦い」というヤクザの抗争映画が流行ったころから、「ヤクザ = やせ我慢の美徳 = 正義」という構図が崩れてきたように見える。 結局、古い映画に描かれたヤクザが何者だったのかはわからなくなった。
もっともアメリカですら、西部劇に描かれたアウトローは、任侠に溢れていたね。単なるカウボーイより恰好よい。


これは、政治の世界でも同様なのではないだろうか。
政治は正義、ヤクザは悪、というのが時の権力者が世間に知らしめようとした策謀である。
しかし、表と裏のような関係の両者に、正義も悪もないだろう。
ヤクザに日本の政治を任せても、さほど酷くはないだろう。正義を称する者に逆らう無法者は、古今東西の憧れだ。
仁義や人間の情けを通すという意味では、安倍総理に爪の垢でも飲ませたいものだ。


ヤクザ屋の場合、分裂だの抗争だのとなれば警察権力が介入して取り締まるようだが、それよりも闇が深そうな政治屋にも警察が介入して取り締まって欲しいものだ。 来る参議院選挙に向けた政党の動きは、何だろうか。

過去記事:もう政治屋は不要だ
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