最近の瓦版では「スッピンでも綺麗」とかの記事を見かける事が多い。
WikiPediaによれば「すっぴんとは、化粧をしていない状態(ノーメイク)のこと」也。
俺的には、他に整形美容なんかも含めて考える。いずれにしても、親からもらった素顔ではない。

まあ、取れたての状態よりは口紅でも...と考えるのが女心というものらしいから、爺が語るまい。
しかし、瓦版屋が取り上げる「スッピンでも綺麗」な芸能人などを見るにつけ、『綺麗』と言われるほどの者ではない。増してや、「スッピン」だろうとそうでなかろうと、評価するに値しない者ばかりだ。
簡単に言えば、化粧や整形手術をしていてもあの程度なのかと見る者ばかりだ。あれらが「スッピン」になったなら悍ましい。
「女は寝顔を夫に見せるものではない」と言われた時代の妻は、いつでも美しい姿・顔を見せる努力をしていたと聞く。

最近の芸能人の女性達は、芸能界デビューする前に化粧のレッスンを受けるそうだ。
昭和時代に親から勘当を言い渡されるのを覚悟して芸能人となる為には、スッピンでも美しいと評価されるほどに美人であることが必要だった。「スッピンで綺麗」なのではなく、「スッピンで綺麗」なのは女性芸能人でスターになる為の当然な最低条件なのである。
最近でも終戦直後のように「外人女性的な風貌」に対する憧れがあるようだ。その結果、いわゆる混血が持てはやされている。必ずしも美人でなくとも外人的な風貌を持つだけで瓦版屋に取り上げられる。
「ゲス不倫」とかで騒がれた者や、「お・も・て・な・し」とかのセリフをきめた者。若い頃には「スッピンでも綺麗」だったのだろうかもしれない(俺的にはそんな妄想は考えられない)が、あれから〇年経った未だに瓦版屋が追いかけるほどに芸能界には素材となる女性が少ないのだろうか。
そう言えば「スッピンでも綺麗」と評される女性芸能人には『大きな目ん玉』が多い。生物学的に言えば『他の生物に表情を読み取られ易い大目玉』は自然界では生き残れない。大目玉をキョロキョロさせながら、怖い怖いと大声で騒ぎ立てる現代女性を可愛らしいと見ている現代日本は末期的なのかもしれない。

追記:「イケメン」とか評される若手男性芸能人はもっと酷い面相也。あれではホストクラブは勤まらない。痩せて細面、長く伸ばした髪の毛から上目遣いで笑みができれば、後はファンクラブ次第らしい。